私は、滝は生きていると思っています。こんなことを言うと、笑う人が大半でしょう。

日本には四季があり、それぞれの季節で滝はまったく異なる顔を見せてくれます。春の雪解けや新緑、夏の豊富な水量や光芒、秋の紅葉、冬の氷瀑等、同一の滝であっても季節が異なればまったく別の滝に見えることもあるくらいです。また、滝は雨によって姿を大きく変えます。普段は水量が少なく迫力に欠ける滝も、雨の後は豪瀑と化し、大迫力の姿を見せてくれたりすることもあります。さらに、滝は今ある場所にずっと居続けているのではなく、少しずつ動き続けています。滝の岩盤は常に自身の水によって浸食され続けているため、一般に長い年月をかけて少しずつ上流に登っていきます。例えば、日本三名瀑の一つである栃木県日光市にある華厳の滝は、滝ができた一万五千年前から比べて現在は800メートルも上流に移動したと言われています。

このように、滝はいつも一定の姿でいるわけではなく、様々な単位で、常に変化しています。このようなことを考えながら、特に滝に日光が当たり、全身に飛沫を浴びながらダイナミックに光り輝く水を落とす様を見ていると、滝は生きていると感じざるを得ないのです。「生物としての3つの条件を見たしていない」等と反論してくる人はいるでしょうが、そんなことは関係ない。私にとって、滝はただの地形ではなく、確かにそこで生きています。

なので当ブログのタイトルは「滝を訪ねて」と滝が生きているような表現を用いています。サブタイトルは「生命の躍動」としましたが、これは光り輝き生命力に満ち溢れた滝を見た時のイメージを元に決めました。

当ブログでは九州の滝を中心に日記形式で滝を紹介していこうかと思っています。